広島高等裁判所岡山支部 昭和25年(う)436号 判決 1952年2月19日
控訴人 被告人 中西章
弁護人 出射虎夫
検察官 大町和左吉関与
主文
本件控訴を棄却する。
当審に於ける訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
弁護人出射虎夫の控訴趣意
論旨第一点に付
刑事訴訟法第二九六条が証拠調のはじめに検察官は証拠により証明すべき事実を明らかにしなければならないと規定し、原審公判調書を調査するに原審に於て検察官が証拠調のはじめに右の陳述をしていないことは所論の通りであるが、検察官の所謂冒頭陳述は訴訟の状況に応じ適宜或いは既に朗読した公訴事実を引用し又はその冒頭陳述に代えて個々の立証趣旨を陳述するを以て足りるものと解する(昭和二五年五月一一日最高裁判所第一小法廷判決参照)ところ、原審公判調書に依れば検察官が個々の証拠取調の請求に当り其の立証趣旨の陳述をしたことが明らかであるから所謂冒頭陳述がなされて居なくても違法といえないばかりでなく、何等判決に影響を及ぼさないことが明らかで、従つて論旨は理由がない。
論旨第二点に付
原判決が原判示事実を認定した証拠としてトシキヨシヨウシの司法警察員に対する供述調書謄本及原審に於ける証人木曾音二の供述を挙示して居ることは所論の通りである。
而して原審公判調書に依れば所論の様に被告人及弁護人は右トシキヨシヨウシの供述調書を証拠とすることに同意しなかつたことが認められるが、右トシキヨシヨウシ(年清正司)は当初検事から岡山少年観護所又は岡山市西古松西の町一九番地に存住するものとして証人としての取調請求があり、裁判所も之を許容して同人に対する召喚状を右二ケ所宛に送付したところ岡山市西古松西の町宛のものは所在不明として返送せられ、少年観護所宛のものは同所長から既に岡山成徳学校に送致し在所しない旨の回答があつて孰れも送達が出来なかつたので検事は右トシキヨシヨウシは其の所在が不明で公判期日に供述することが出来ず且其の供述が本件犯罪事実の証明に欠くことが出来ない場合に該当するとして、同人を証人として取調べることの請求を撤回し、代りに刑事訴訟法第三二一条第一項第三号に基き右同人の供述調書の取調べを請求したものであることが本件記録に依り明らかである。而して刑事訴訟法第三二一条第一項に基き被告人以外の者の所在が不明で公判期日に於て其の者の供述を得ることが出来ないことを理由として其の供述録取書を証拠として取調の請求をするに当つては、原則として少くも其の供述者の所在が不明であるとすることを相当とすると客観的に認めるに足る証左を提出すべき責務があるものというべく、裁判所も亦所論の様に慎重に所在不明と認めることが相当であるか否かを検討すべく、簡単に所在不明であるとして其の者の供述録取書を証拠として許容すべきでないことは右条項が伝聞法則の例外を規定して居るものであることからして明らかである。況んや本件に於ける場合の様な被告人が本件訴因全部を争つて居り之を立証するには右トシキヨの供述が最も重要なる資料である場合に於ては尚更である。然るに本件に於て検事は右二ケ所宛の召喚状の送達不能の事実のみを以て前記岡山少年観護所長よりの回答書に依りトシキヨが現在して居るかも分らぬと考えられる岡山成徳学校又は右回答書の末尾にトシキヨの住所として記載してある岡山県浅口郡連島町大字春日町五一一番地に宛て更に召喚状の送達を求めるなり、或いは右の場所にもトシキヨが現在しない旨の証左を提出するなり、其の他トシキヨの所在不明を証する為の資料を提出する等することなくして、直ちに右トシキヨの所在が不明で刑事訴訟法第三二一条第一項第三号の場合に該当するものとして其の司法警察員に対する供述録取書を証拠として取調の請求をしたのは、未だ其の挙証責任を果したものということは出来ず、トシキヨの所在が不明であるとすることを相当とする客観的に認めるに足る立証があつたものということは出来ない。併し原審公判調書に依れば検事が右トシキヨの供述録取書を刑事訴訟法第三二一条第一項第三号に該当する場合として其の証拠調を請求したのに対し被告人及弁護人は之を証拠とすることに同意はしなかつたが同時にトシキヨの所在が不明であることは争わないと述べて居ることが認められるから検事が前記二ケ所宛のトシキヨの召喚状の送達不能の事実のみに基きトシキヨの所在は不明なりとする主張に対して異議はなかつたものというべきで従て右供述録取書は刑事訴訟法第三二一条第一項第三号に規定する所在不明で公判期日に供述することが出来ないとの点を除く其の他の条件を具備して居るならば、当然之を証拠とすることが出来るものということが出来る。而して右供述録取書にはトシキヨの署名拇印があり其の供述が本件犯罪事実の存否の証明に欠くことが出来ないものであつて、特に信用すべき情況の下に為されたものであることは右供述録取書謄本及本件訴因並被告人の原審証人木曾音二の証言に依り明らかであるから結局原審が検事の請求を許容し右供述録取書を証拠として取調べた上之を証拠として採用し原判示事実を認定したのは何等違法とはいえない。
次に所論の原審証人木曾音二の供述に付按ずるに同人の供述の主要部分が年清正司の供述を内容として居るものであることは所論の通りであるが、被告人以外の者の公判期日に於ける供述で被告人以外の者の供述を其の内容とするものに付ては刑事訴訟法第三二一条第一項第三号の規定が準用せられることは同法第三二四条第二項の規定するところであつて、右供述の内容となつて居る年清正司の供述が前記のような理由により刑事訴訟法第三二一条第一項第三号に従い証拠とすることが出来る以上原判決が之を内容とする右木曾音二の証言を証拠としたことに付ても何等所論の様な違法は存しない。
論旨第三点に付て
証拠の取捨判断は経験則に違反しない限り原裁判所の自由裁量に属するところであつて、原判決に挙示してある証拠に依れば原判示事実は之を認めることが出来、何等所論の様に事実を誤認した違法はない。論旨は理由がない。
よつて刑事訴訟法第三九六条第一八一条に従い主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 柴原八一 裁判官 秋元勇一郎 裁判官 高橋英明)
弁護人出射虎夫の控訴趣意
第一点原審訴訟手続には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある原審は公判手続に於て刑事訴訟法第二百九十六条に定められた手続が履践せられていない違法が存する。
原審公判調書を閲すると原審は昭和二十四年十一月二十一日の第一回公判期日に証拠調開始を宣して直後検察官の期日続行申請を容れて閉廷し次回期日同年十二月五日に於ては検察官は直ちに証拠取調を請求して居り証拠調のはじめに検察官によつて為されるべき証拠によつて証明すべき事実を明らかにする手続が行はれていない而して其後の公判手続に於ても右の手続が行はれた形跡がない右の手続は証拠調の初めに立証事実と之に連結せしめられる各個の証拠が総般的に検察官によつて提出説明せられ当該審理の対象方向が具体的に明確にせられる手続段階として前記法条に定められているもので此の手続が履践せられていないことは判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反であると考えられる原判決は右の点に於て破毀せられるべきものと考える。
第二点原判決には証拠法則を誤つた違法が存する。
原判決によると其の事実摘示に於て被告人の二個の窃盗事実を示し之を認定する証拠として各被害者の盗難届の外(1) トシキヨシヨウシに対する昭和二十四年九月二十四日附司法警察員の供述調書謄本及び(2) 証人木曾音二の原審公廷に於ける供述を掲げている(1) の供述調書は刑事訴訟法第三百二十一条第一項第三号の条件を具えない限り之を犯罪事実認定の証拠として用いることは同法第三百二十条によつて禁止せられているものである右トシキヨシヨウシの供述書が本件犯罪事実の証明に最も重要な関係を有するものであることは全証拠に徴して疑いないと考える原審第三回公判調書によれば検察官は証拠書類として右年清章志の取調を請求し被告人及び弁護人は之を証拠とすることには不同意を表明している而して被告人側は右年清章志の所在が不明であることは争はないと述べている原審は右証拠書類の取調決定をなし之を取調べているので右年清の供述書は年清章志の所在が不明であるとの理由で採証せられたものであることは明らかである右公判調書によれば原審第二回公判期日である昭和二十四年十二月五日の期日に於て検察官取調請求によつて証人年清正司の取調決定がなされ第三回公判期日に右証人が取調べられるべく召喚状が同証人の住居地に送達せられて送達不能となり次で同証人が収容せられている岡山少年観護所に同人宛召喚状が発せられて同少年観護所に不在の理由で同観護所長から返送せられている第三回公判期日は同年十二月十九日に行はれて居り同月五日に証人取調決定があつて後同月十九日迄の間に右両度の召喚状の送達があつたに過ぎなく其の外に右証人の所在が捜査せられたと認むべき事実は存しない而して右第三回公判期日に右証人申請は撤回せられ右証人調決定は取消されているのである之は被告人側に於て右撤回に同意したものでもある故によるものであろうが前述の如く被告人側は前述年清章司の司法警察員に対する供述調書等については之が採証に不同意の意思を表示している此の場合右証人を取調べないで右供述書を右証人の所在不明の理由で採証したのは違法ではないであろうか此の場合前記召喚期間の間に単に従来の右年清の住居地に召喚状を送達した外に右年清の住居地が原裁判所によつて捜査せられ所在不明であることが確実にせられたのでない場合職権を以て右証人の住居地を捜査した上で再召喚が為さるべきである右年清は当時岡山市西古松西町十九番地の被告人住居に居住していたものであるが同年九月十一日逮捕せられ本件に関して原審第一回公判期日に先つ約二月前の同年九月十九日司法警察員に調べられ其の数日後裁判官によつて公判期日に先つて証人として尋問せられていることは本件記録によつて明らかである当時少年観護所に収容せられていたことも明らかである最近の所在は極めて明白である所在を捜査すれば前述の召喚期間中に之が分明となることは困難であろうが公判手続を著しく遷延しない時日の間に右年清の所在が明らかとなることは推測せられる被告人側は右供述書の採証に不同意を表明している場合証人申請があり其の所在が特に探索せられることなく単に従来の住居地に召喚状を発送したのみで所在不明として右供述書を採証するのは当該証人取調期日に切迫して当該期日の取調処理上の利益を重視して被告人の利益を顧慮せず直接審理主義口頭主義の理想から設けられた前記法条の趣旨を没却したものである前記法条に謂う所在不明とは当該証人の重要性に応じて所在を捜査するも容易に其の所在の発見し得られない如き程度のものであり単に従来の住居地等に召喚状を送達して到達しなかつた場合たとえ逃亡していたとしても直に所在は不明ではない捜査の上公判期日を著しく遷延させる如き状況にあることが判明しない限り所在が不明とは言えぬと考える右法条には「供述者が死亡、精神若くは身体の故障、所在不明又は国外にいる為め公判準備又は公判期日において供述することが出来ず云々」と規定せられ供述者の死亡、身心の障害、国外居住等証言の客観的不能乃至困難と対比せしめられていることから考えるも右法条の所在不明を主観的想像的所在不明をも含むと解すべきではないと考えられる原審は前記書証を前記証人の所在を特に探索することなしに不明であるとして被告人側の不同意にも拘はらず之を採証していると考えられ採証法則を誤り刑事訴訟法第三百二十一条第一項を適用しなかつた違法を為している。
次に証人木曾音二の原審公廷に於ける供述を採証しているが前述の如く証人年清正司の所在不明が右証人召喚期日当時所在不明と認められるべきでない場合証人木曽音二の証言の首要部分は原審第三回公判調書によつて年清正司の供述を内容とするものであることが考えられ刑事訴訟法第三百二十四条第二項同法第三百二十条第一項第三号によつて右木曽の証言を採証するのは右法条を適用しない違法が存する職権を以て右年清の所在を明らかにする措置が講ぜられ所在不明なることが分明して然る後右木曽の証言を採用すべきであると考えられる。
第三点、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認が存する。
被告人の原審公廷に於ける供述原裁判所裁判官の公判期日前に於ける証人年清章司に対する証人訊問調書中の同人の供述司法警察員の年清章司に対する第二回供述調書を綜合して考察すると原判決事実は年清章司の単独犯行であつて被告人には何等の罪責も存しないことが分るのである。
右は重大な事実誤認であつて判決に影響を及ぼすことが明らかであり原判決は破棄せられるべきものと信ずる。